2008年06月20日

心意気を味わう(小田原 松永記念館)

千宗屋 (8).JPG
※カメラを忘れたため、同行してもらったミミズさんに写真を提供いただきました


「現在生きている私たちにとってお茶とは」
を聞きに行く。

写真の3名は奥から、黒田泰蔵氏、千宗屋氏、細川護光氏。
黒田さんは急遽参加されたようだった。


お茶といっても、煎じる、抽出する、立てるとあるが、
今回はもちろん、立てるお茶を中心とした話。


ちょっと話をはずして。
あいまいな記憶なので、適当に流して欲しいのだが、
お茶文化はそもそも中国で発展し、時代毎にその飲み方をかえ日本に伝わってくる。
最初は薬として煎じられていた。
それが嗜好品となり、抽出して飲むようになる。
宋の時代には遊びになり、かなり変わった飲み方が存在し
そのひとつが茶粉を立てて飲むという方法だったと記憶している。


今の中国ではそのような飲み方が存在するのかは分からないが、
日本では「茶道」として、芸術までに昇華する。
茶人は、芸術家であり、収集家であり、花師であり、書道家であり、美食家である。

しかしイメージは道楽で形式的、お茶をたてるという行為はとても非日常だ。


以前尊敬する内田祥哉先生のご自宅に伺ったときに雑談で、
「茶室の真理はなんですか?」と質問したところ、
「会話だ」という答えが返ってきた。
なるほど。
様式が芸術化したが、本質はコミュニケーションか。

お茶をたてるとなると、場所や道具、服装やその形式まで
様々なことが頭をかすめて、なんとなく取り組みにくい。

しかし抽出しようが、立てようがコミュニケーションが目的というならば、
無作法かもしれないが、自分なりに「お茶を立てる」を日常に取り入れて楽しめるかもしれない、そう以前から思っていた。


武者小路千家の15代目、伝統の内側にいる男が考える茶の話には興味があった。
千宗屋氏ならばためらっていたその背中を押してくれるかもしれないと思ったからだ。


詳しい内容は避けるが千宗屋氏の話はそれに応えるものだったと思う。
自由な発想と伝統を重んじる姿勢、一見相反するように思えるが、
それは相手をもてなすという点でバランスしている。

茶とはもてなしの心を出すものであり、そしてその心意気を味わうものだと教えてくれた。


しかし、時間が短かったのが残念。もっと話を聞きたかった。
posted by DH at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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